2013年10月29日火曜日

Hans Reichel - Wichlinghauser Blues (FMP 0150)

  Derek Baileyはリズムやメロディはもとより、一切のフレーズを拒否することによって、音楽を解体しというならば、Hans Reichelは楽器そのものを文字通り解体した事により、ギターという楽器の持つ前衛表現の幅を拡大させた。


 サックス奏者Peter Brötzmannらによる西ドイツの前衛ジャズレーベルFree Music Production(FMP)より、73年作。Reichelにとって初めての作品。


 Baileyは膝においたギターを抱え、右手にピック、左手はフレット上に踊らせるというあくまでオーソドックスな奏法であったのに対し、Reichelの演奏は全て彼の自作、または自らの手によって改造の施されたギターを持ちい、辛うじてギターは肩からぶら下げられているものの、両手の機能は全くユニークなものであった。演奏中に弦の乗るブリッジを移動させ、その両側を使って演奏したり、通常ギター本体に固定されているピックアップを手に持ち、それを弦に擦り付けたり、タッピングらしきフレットをピアノのように叩く音も聴かれた。自作楽器でいうなれば、2本のアコースティックギターのボディを切り捨て、そのネックを張り合わせ、ピックアップで繋いだギターを作った。発想がユニーク、というかカオス。言葉だけだと全くイメージが湧かない物ばかり。
 彼のHPでは自作の楽器の遍歴、効用がキュートなアニメーションにのせ分かりやすく紹介されているのでお時間あれば是非→http://www.daxo.de/

 同時代に「楽器の持つ機能の解体」に着眼したのはAMMのKeith Roweくらいだろうか。10年後にJohn Zornは様々なリード楽器のマウスピースをテーブルの上ところ狭しと並べ、凄まじい早さでそれらを交互に吹き散らかし、Christian Marclayはレコードが乗ったターンテーブルで即興演奏をした(もちろんHip Hop的語法でない)。高柳昌行はテープやオーディオ機器、電気ドリル、ハンマー、そしてテーブルに寝かされたギターを用い、壁に塗られた塗料が剥がれ落ちるほどの凄まじい音量で、高柳1人によるオーケストレーションを行った。



 さてさて、話が横道に逸れたが、Reichelは前衛音楽でまだ楽器奏法の開拓が行われていた70年代前半から「楽器の解体」に目を向けていた数少ない演奏家の1人ではないか。後の音楽性はもう少しニューエイジよりと感じるのだが、ここではその語法の模索中ゆえの実験精神に富んだ10の即興演奏が聴ける。

 A面初めのアコースティックギターを使ったエキゾチックで琴のような演奏は後の方向性をかいま見せるものの、ボディに張られたピックアップと手で弦を擦り付けているピックアップがステレオ出力された(?)ノイジーな演奏はArto Lindsayとドリルを片耳ずつ突っ込まれたかのようなスリリングさ。思わず「針飛びか!」とヒンヤリさせられた。


 このアルバム気に入ったよ。

岡田

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