2014年5月9日金曜日

drink?

スピーカーから真理が鳴っても、言葉がバラバラになって雨のように降って来ても、サッシのレールが無限に伸びてその周りを漂えるならそっちに靡いてしまう性なのだが、お酒を飲みに行く蓄えもないので、斜め横からこっそり昔の面白い人達を覗いてみようなんて日々考えていたら、随分乱雑な観察日記ができあがりそうなので、ここら辺りで一つ纏めてみようかなと思っているところのものを少しだけ紹介。

〈小説冒頭傑作集〉
「自分は女に飢えている。」(『お目出度き人』武者小路実篤)
光源氏もびっくり、冒頭から強烈且つストレートな宣言だが、不器用なブ男の女に全くもって相手にされないお話である。自然主義文学を打倒しようとした白樺の代表作家の著者は、自然主義の作家達よりも尚自己にこだわり、そのこだわり方が恐ろしい程純粋であった。加えてあまり文がうまくなく、ブ男だった。なんていうか、キモい。キモいから売れた。相手にされない具合、文章の素直さ、顔、すべてが絶妙に絡み読者にいろんな感情を思い起こさせる。一部同感、応援、憐み、涙。自然主義の女自慢、病気自慢、貧乏自慢を赤裸々に語るスタイルや、谷崎の源氏物語的色好みを変態的に表したスタイルにみられる、モテない男の努力や自己客観性はそこにはなく、簡単に言うならもっとモテなかった。モテない人が悩み、女性を描くと売れたが、モテない人がモテないこと書くからそれも売れた(どれだけ売れたか知らないけど名前は誰もが知っているだろう)。近代以前を見ると元来物書きはモテるはずであったような気もするからモテる男がモテる話を書いてもいいはずだが、ただ近代以降それは売れない。

「彼が嫌っていたのは、父の家ばかりではない。自分の妻子ーー殆ど十六年間に六人の子を産ませた妻と生き残っている三人の子ーーをも嫌っていた。」(『發展』岩野泡鳴)
赤裸々自慢の自然主義の中でも最も強烈且つ首尾一貫性を持つ作家の代表五部作の一作目だが、頭からなんと無残なことを言い出すのかと思いきや、こんなの甘っちょろくて、例えば、妾の元で暮らしている時、子供が病気で死にそうになっているから妻が居場所をやっとのことで見つけ家に帰ってきてくれと懇願するも、そんなものは大事ではないと妻を一喝し拳骨したり、その妾を夜更け暗がりから薄ら顔を見て、こいつは本当に人間かなどとほざく。こんな人でも一応教科書にも出てるし、当時流行作家だったらしい。男女が今ほど自由恋愛でなかった当時、慣習を完全に無視した考え、そして驚くほどそれが実行を伴った彼が書く、まさしく「私小説」といった点がうけたのだろうか。吉田精一氏は「かくて多くの欠点はあるものの、これは日本の近代リアリズムの一つの極致であると言える。この深刻無残な大小説に比べると「蒲団」その他の自然主義小説の多くがいかに甘ちょろく思われることだろう」と語っている。

「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、」(『城の崎にて』志賀直哉)
吹いた。とりあえず吹いた。嘘やん、て。武者小路実篤と同じ白樺の大作家だが、この人はうまい。超精密カメラ搭載のユーモア補正機能付き。ちなみに同じ白樺の里見弴の『善心悪心』では主人公の友人が山の手線に跳ね飛ばされるところを逃してはならない。


さて、月末からrecです。
増村和彦


2014年5月4日日曜日

Viva L.A. Rock!!!


 最近はもっぱら家レコ掘りに勤しんでいます。掘っても掘ってもセンス良い盤しか出てこないです。過去の自分グッドジョブ!

 個人的にDJ mixなんかして遊んでいます。





 今月のお尻から2枚目の録音が始まります。

岡田